なぜ働くのか?労働観の変遷をたどってこれからのキャリアを考える
本記事はWORK-PJ「なぜ働くのか?労働観の変遷をたどってこれからのキャリアを考える」(2019.11.8)の転載記事です。
皆さんは日々何かしらの労働に従事していると思います。何のために働いているのでしょうか。
労働観は人によって様々だと思います。国や時代によっても主流となる考え方は移り変わってきました。
これからのキャリア、自分がどのように働いていくかを考える上で、そもそも働くということは何なのかを見直すことを通じて、今の労働観を客観視して、新たな気づきを得ていただくきっかけとなればと思います。
今回は、西洋社会の代表的な思想を中心に労働観の変遷をまとめました。
古代 | 肉体的活動を伴う労苦 |
中世 | 宗教倫理に基づく救済 |
初期近代 | 個人主義に基づく富の追求の推奨 |
近代 | 成功を目指す手段 機械化による人間の疎外化 |
現代 | 承認欲求を満たす手段 自己実現の手段 |
目次
古代 労働は苦役
古代ギリシャでは、労働は苦役であり、卑賤な活動だと見られていました。
このような労働観の背景には奴隷制度の存在があります。奴隷は自由を持たず、主人の指示で肉体労働に従事しました。
手作業のような労働は奴隷の仕事に近く、軽蔑され、否定的な評価をうけていました。特に職業労働は社会の底辺として位置づけられており、余暇があることが社会的な評価基準の一つでありました。
ただし、当時の人々は、今日我々が労働として捉えている活動全てを「労働」として認識してされていたわけではありませんでした。
例えば、人間の生産活動の大半は手仕事ではなく、農業でした。人々は農業を労働とは捉えておらず、祈りや儀式の延長である呪術的な生産活動として考えていました。
古代ギリシャの人々は、余暇つまり自由な時間に高い価値を置いていました。
多忙な人生を送ると、個別の仕事の内容に詳しくなっても幅広い分野の思索はできません。哲学的な思索を行うには自由な時間が必要であり、自由ということは労働からの開放を意味していました。
中世 労働は宗教活動
中世のキリスト教世界では、「労働は怠惰からの開放、救済である」という考え方が生まれました。
この当時、都市化が進み、都市での労働が拡大しました。
農村から都市に人々が流れてきたわけですが、農村出身者は貧しく都市での仕事に慣れていない怠惰な存在であると思われていました。
人々の精神は自然的なリズムの農業に適応しており、人工的なリズムで物事を進める産業労働に適応してはいませんでした。都市の労働に適応させるためには、禁欲によって身体にある欲望をおさえる必要がありました。
キリスト教の宗教倫理と結びつき、労働は人々が怠惰な方向に流れることを防ぐ救済であるという見方が広がりました。
労働は宗教の中に組み込まれていき、祈りや勤行と共に重要な宗教活動となっていきました。
初期近代 労働は信仰の証明
宗教改革により、旧来の教会の権威が批判され、労働が信仰の証明として使われるようになりました。
例えば、マルティン・ルターは、「神に仕える最も良い方法は自身の職業に邁進することである(召命、天職という概念)」と説きました。
人に与えられた仕事は神の偉大な計画の一つであり、それに邁進することは神の威光を証明することであるという考えです。
ジョン・カルヴァンはこの考え方をさらに発展させ、金銭を追い求めることに否定的であった従来のキリスト教的価値観を見直し、「労働に邁進して自らの富を最大化させることを目指してよい」と、労働によって富を追求することを肯定しました。
宗教活動の一部として労働が位置づけられていたのが、徐々に重み付けが変わり、労働に勤しむことと神に仕えることがほぼ同義であると言えるまでになっていきました。
マックス・ウェーバーが名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で述べたように、このあたりの労働観の変遷が資本主義の発生につながったとも言えます。
近代 成功をおさめるために働く
やがて西欧社会で市民革命が起こると、旧秩序の崩壊と民間資本家の台頭が進みました。
働くことが良いことだという考えは残りましたが、価値観の世俗化が進み、前述した宗教的な意味付けは徐々に薄れていきました。
アメリカ建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンは、「富は徳にかなう行動の産物であり、成功をおさめるために勤勉に励むべきである」と説きました。
産業革命が起こって資本主義経済が確立し、資本家が莫大な富を手にするようになると、この傾向はさらに強まります。
労働は成功を目指す手段としてもてはやされ、多くの人々が経済的成功を求めるようになりました。
近代 労働力として消費される人間
産業革命と資本主義の進展は、一方で、大量の工場労働者を生み出しました。
労働の細分化が進み、従来の職人労働は不要になり仕事は単純労働で代替されるようになりました。
劣悪な環境下での長時間の労働で、自ら考え自律的に働くことがなくなり、人間が労働力という商品として消費されるようになるとの見方が広がりました。
カール・マルクスは、「労働者は懸命に働くことで自らを支配する資本を拡大するが、それによってより自分自身の隷属性が進展し、人間の疎外化が進む」と資本主義の暗い側面を説きました。
以上のように、近代の西欧社会では、労働に対して肯定的な考えが広がりましたが、一方で否定的な考えも生まれました。
現代 承認欲求の解消と自己実現の手段
現代の労働に対する主要な価値観として、主に以下のような考えが挙げられるでしょう。
労働は承認欲求を満たす手段である
現代の労働者の多くは、会社や官公庁等の団体に所属するサラリーマンです。組織では、多数の関係者とのコミュニケーションを通じて仕事を回す必要があります。
他者の評価を気にしやすく、会社の同僚、上司から評価されたいといった承認欲求をモチベーションとしている人も多いと思われます。
また、社会的ステータスや報酬の高さ等を基準として就職先を選ぶ人も多いでしょう。
こういった人々は、労働の内在的価値ではなく、対外的な記号としての価値によって他者から評価されることを目的として労働に勤しみます。
労働は自己実現の手段である
個人主義の台頭に伴って、個人の欲求、自我の表現を重視する価値観が広く浸透してきました。人々は、自分とは何かを探し、自分らしい自分になることを基準として行動します。
労働は、新しい自己を作るための手段であり、理想像に向かって成長することで満足を覚えます。
こういった人々は、自分のパーソナリティによってやるべき仕事の中身が決まると考え、自分にとってふさわしい仕事は何かを探すことに心を砕いています。
自由化・情報化が進展し、人々はより一層、多様な意見や価値観に触れられるようになりました。
本節では、現代編として2つの主要な労働観を紹介しましたが、現代では、労働者の価値観は多様化しているといえます。
まとめ
この記事では、労働観の変遷について紹介しました。
苦役、救済、成功への手段、承認欲求の満足・・
皆さんに馴染みがある考え方もあれば、馴染みのない考え方もあったかと思います。
時代や社会構造が変われば、主流な価値観も変わります。
「なぜ働くのか」ということは、普段なかなか意識的に考えることが少ないテーマだと思います。
人の行動はその人の持っている価値観に大きく影響を受けます。これからのキャリアを考える上で、自分が本当はなぜ・何のために働きたいのかを考えることは重要です。
本記事が、労働観について見直すきっかけとして役に立てれば幸いです。
<参考文献>
- ラーススヴェンセン 著, 小須田健 訳. (2016). 働くことの哲学. 紀伊国屋書店.
- 今村仁司. (1998). 近代の労働観. 岩波新書.
- 村山昇. (2018). 働き方の哲学. ディスカヴァー・トゥエンティワン .